書籍編集者の裏ブログ -6ページ目

書籍編集者は創作する

タレントさんのエッセイをゴーストライト(そのタレントになりすまして書いてあげる=印税も原稿料も手間賃もなし)したことが何度もあります。
何度かにわたって、インタビューして、テープを作り、会社の保養所などで自主缶詰して一週間ほどで仕上げてしまいます。

その際に大切なのが、
 ○なりきること
 ○周辺資料を駆使すること
 ○衒いなくがんがん作る(創作する)こと
です。
「周辺資料」は、昔話なら、当時の新聞や雑誌。スポーツ観戦のシーンなら、その試合を細かく描写している何らかの資料、レストランでの食事のことが出てきたら、そのレストランのメニューとそのレシピというようなことになります。
そのタレントさんが、その時の食事の内容を全く語ってなかったとしても、バンバン書き進めていきます。メニューも、その作り方も、うんちくも。どんどん盛り込んでいきます。当然、その感想も、ちょっとした会話も作ります。
タレントさんが、
「その日の晩御飯は、打ち上げのの意味もあって、ちょっと豪華にスタッフと○○飯店」
とテープに残したにすぎない情報が、4頁のエピソードになります。

よくしゃべってくれる方なら、こんな苦労はないのですが、大抵は、お忙しい方ばかりなので、時間を作ってもらえず、極わずかな情報から一冊に仕上げねばなりません。
そこで、こうした展開になります。勿論、仕上げた原稿は、最終的にタレントさん及びマネージャー及び事務所の社長が読みますから、作りすぎの所はチェックが入ります。

この「がんがん作る(創作する)」精神は、「対談まとめ」の時にも活躍します。
読みやすくなるように話の順番を入れ替え、二人の間だけであうんの呼吸で理解し合っていて、ちゃんと言葉になっていないところを言葉にしてやって、一方がしゃべりすぎで、片方が寡黙な場合は。、寡黙な方に科白を割り振り、余りに盛り上がらない話だったときは、ひと蘊蓄、ふた蘊蓄作って山を作ります。もちろん、両話者には原稿を見せますので、最終的には、彼らが了承したという形になります。

私はかつて、一方(甲さん)が二日酔いでまったくしゃべらず、片方(乙さん)が一生懸命語ったものの、不機嫌になってきて、最終的には、無言が続いたという対談を、丁々発止の文学論のやりとりに作り替えて、甲さん乙さん両方から、感謝されたことがあります。

文学研究している人から見れば、対談という素材が研究のための材料にしてよいのかどうか、悩ましい話をしてしまいました。